Atradium

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レシピのない絶品料理

作り方はDNAに眠る

口にした誰もが賞賛する。
恐ろしいほどの美味。
その名もビーツペンネ。
高低差の険しい荒野にある集落「ヤークビーツ」は、言葉を持たない原始的な生活を営むライフの集まりだ。
文字も言葉も持たない彼等のコミュニケーションの手段は、食べ物が示す味と身振り手振りのジェスチャー。
その中で「歓迎」「謝意」「歓喜」など、ハッピーを感じたときに作られるものが、ビーツペンネなのである。

さてこのビーツペンネ、いやヤークピーツの民の作る料理すべて、誰にも手伝わせてはならないし、誰にも作り方を教えてはならない決まりがあるらしい。「感情表現」の手段であるためヒトを真似することを認めないとは、なかなかに面白い風習である。
つまり、彼等が作るビーツペンネはみな独自の方法で作られた全くの別物である、ということだ。
外部からの情報が一切入ることなく世代を超えて伝わるレシピとはどのようなメカニズムなのだろう。


調味料にして絶対条件

作り方が違うのに誰が作っても絶品、これは魔法と呼んでも間違いない。
とあるシェフがこの秘密を探り、技術を奪い自らのものにしようと集落に潜り込んだ。
彼女は盗み見するための魔法を魔術師に教わり、動揺や緊張を抑える精神訓練を受け、あらゆる技術を自身の腕の中で再現する手先の器用さに磨きをかけた。
準備も万端で待つこと数日、ついに集落の民がビーツペンネを作ってくれる日が来た。
さすがは名高い魔術師が直々に授けた魔法の技術。集落の民誰ひとりにも気づかれることなく、彼女は作り方と材料すべてを知った。

これで世界一の料理人になれると意気込んで彼女は食事を済ませるや否や故郷にとんぼ返り。
そして出されたビーツペンネを完全再現して皿に盛りつけた。
結果は悲惨だった。
どれだけ試しても、どれだけ念入りにチェックし直しても、できあがるのはこの世のものとは思えない不味いパスタ。美しいのは見た目だけの、仮面をかぶった魔物に彼女は絶望した。

何故彼女がビーツペンネを作り出せないのか、この話を聞いて他のシェフたちが様々な考察を交えて挑戦し続けているが、いまだあの味を作り出せたものはいない。