Atradium

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スペクトルグラビティ

天から降り注ぐ光は、私たち冒険者をそっと包みこんで、行き先を照らしてくれています。
闇を退けて色彩を与えてくれるのも光の役割です。
この優しくて偉大な光が、歴史の中で争いの道具として使われていたことなど、信じたくもないことです。


魔術の扱える範囲とは本当に幅広いものです。
炎を生み操るものから、針に糸を通すようなものまで。癒すものも傷つけるものも魔法の一種として存在している。魔法とは何なのでしょうね。


さて、本題に移りますが、冒頭に記した通り、歴史の中には空から降り注ぐ「光」を操り、戦いに利用していたという記録が残されています。
興味深いのは、その光の扱い方です。
光は触ることができず、耳で聞くことも、舌で感じることも、においもついていません。
目でしか捉えることのできないこの光のルール自体をねじ曲げて、光に「重み」を加えて圧を与えるというものです。


どういうものなのかもう少し掘り下げてみましょう。
まず、その魔術は「可視光線」にだけ効果を発揮したようです。
(ここでいう可視の範囲は、術者の視界に準じていた、とのことです)
そして光の波長が長いほど重たく鈍い圧を、短い波長では軽くても鋭い圧を与えます。
(赤い光はズッシリ全身が重たくなり、紫の光はチクチク突き刺さるようなイメージですね)
さらに光の反射には、3度目の反射まで効力を及ばせることができたようです。
(鏡や艶のある地面の上では威力が何倍にも増幅したということですね)


お気づきでしょうか。
光というものが最も多く地上に降り注ぐ時間とは「昼」であり、「夜」ではないこと。
つまり、この魔術はエフィルとの戦いではなく、あくまでライフ同士の争いでしか活躍しないということに。



さいわい現代ではこの術を発動する術は失われているので、これ以上光を汚されることはありませんが、かつてこうした扱いをされていたことは悲しい事実のようです。
みなさんは光を大切に、優しい存在のままでいさせてあげてくださいね。